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4年5ヶ月ぶり、来月2月1日三宅島避難指示が解除となります。
避難中、多くの方々のご支援ご協力により、八丈島で営農を続けることができました。
本当にありがとうございました。

当園は今後、八丈島での栽培継続と三宅島の農地復旧と試験栽培を並行して行う予定です。

避難指示解除(帰島)は、遅すぎた感はありますが、とにかくよかったです。
多くの島民にとって、都内での苦しい4年余りの避難生活でしたが、同時に避難中ということで様々な支援も頂いていました(今後順次これらの支援も終了することになると思われますが)。

三宅島に帰れる(さまざまな理由で帰島を諦めざるを得ない方も少なくはありませんが)という大きな喜びと同時に、三宅島に戻ってからは多くの難題も山積しています。
避難解除は万々歳のゴールということだけでなく、同時に苦難と希望の入り交ざった新たなスタートということだと思います。

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1月27日
商工会の行っている商工業者再開準備事業で25〜28日の4日間、三宅島へ行ってきた。
2月1日避難指示解除を前に、4箇所にわかれている農地と30棟のハウスの状態を確認した。農地、ハウスとも行くたびに状態は酷くなっている。来月から兎に角一部の農地を開墾し直し試験的に植え付けをやってみる。この4年半、島内農業に関する情報は実に少なく、これから三宅島でどのような農業ができるのか判断する情報が極めて少ない。個人的には、目と耳と口を塞がれて、手と足を縛られた4年半だったと感じている。
島内の道路等は不便さを感じない位復旧は進んでいる。写真のような村営住宅建設作業も随所で見られる。とにかく2月1日から各自が復興に向けて頑張ること!!かな。
1月21日
新年用花ギフトで使ったドラセナが少し残ったので、茎を刻んで苗を作ってみる。ドラセナの栽培経験は無いが、避難指示解除後の三宅島で試験的に植えてみるつもりだ。八丈島には沖山恒正さんというドラセナの大家がいらしゃるので、これから教えを請う予定。写真のドラセナも沖山さんが作出した「ファイヤー」という品種。(登録品種を無断で増殖することはできません。)
1月19日
お正月明けも出荷が続いていたが、今日でオリエンタル系のユリが全部終了した。11月から約2ヶ月半
スカシユリは未だ多少残っているが、やっとひと段落。写真はカサブランカ出荷後のハウスです。一休み
といきたいところですが、これから球根の堀上、春用の植え付けと忙しく、なかなか休んでもいられません。(悦子wrote)
1月16日
アロエの花が最盛期。空港の前にはたくさん植えられていて今が見ごろです。
東京では寒い日が続いているが、八丈島の冬はかなり過ごしやすいと思う。それでも今の時期は島でも
一年で一番寒い時期という事だが、日中は15℃はある日が多い。アロエとアシタバのヘルシーフェスタという催しも行われている。冬の八丈島もなかなかよい所です。(悦子wrote)
1月9日
この野鳥はなんて名前なのかな?昨年末からハウスのなかにずっと住みついてる。暖房付のハウスなので、雨風の心配はないし暖かいし、快適なのだろうか?それに人をあまり警戒しないで、結構近くまで寄ってくる。いつまでいるつもりかは知らないが、いたいだけいなさいね。
1月5日
今年のお正月・お年賀用ユリギフトは、一部連作障害発生のためユリ不足になってしまった。注文を頂いてしまっているので、送らないわけにはいかない。ユリの足らない分、ストレチア、サンダーソニア、ドラセナをセットにして、左写真の新年花ギフトというかたちで送らせて頂いた。