5月


                                   4月の記録

2000年9月全島避難で住み慣れた三宅島を後にし1年7ヶ月がたちました。昨年の春、単身八丈島に移りユリ栽培を再開しています。仕事の様子や身の回りの出来事、風景などを週に1〜2度書いています。
三宅島の火山活動は沈静化に向かっていますが、いまだ大量の火山ガスを出し続けており島民の帰島を阻んでいます。4月からは東京から週一回東京から三宅島への直行便(船)がでることになり、島民も定期的な日帰り帰島ができることなりました。次は泥流、火山ガスの安全対策をしたうえでの希望島民の夜間滞在を含めた帰島を検討してもらいたいものです。砂防ダム工事に並行して住民のためのクリーンルーム、クリーンハウスの建設も進めて欲しいです。            

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5月27日
今日はオリエンタル系ユリの最後の植付けをした。これはマルコポーロという品種、オランダ産の冷凍球で以前(10年位前)は高価な球根だったが今は随分安くなった。開花時期は8月上旬の予定で、夏の産直ユリの最終になるだろう。
5月20日
両親のいる大阪市阿倍野区の実家に帰省した。この家に私は小学校から高校、浪人まで住んでいた。もう30年前のことだ。三宅島にいる間は仕事が忙しく滅多に大阪へは帰れなかった。避難中はユリ栽培だけで時間のとれる時があるので時々両親に顔を見せに行くことにしよう。もう父親も83歳になった。
5月14日
三宅島の基幹園芸作物レザーファン(フラワーアレンジ用のシダの切葉)は、火山ガスのためほぼ全滅。帰島後に備えて八丈島で苗作りをしている。昨年秋に続きこの春もレザーファン植付けのために東京から三宅村シルバー人材センターの会員さんが来島した。今回は25,000株の植付け、あとの肥培管理は八丈島に避難している三宅島のシルバーさん達が行う。2年も据え置けばかなりの数に増えるだろう。その頃には三宅島に帰りたいものだ。
5月9日
農業委員会の会議で2〜3日上京していた。久しぶりに太田市場へも足をのばしてみたが、やはり価格は低迷と言う感じ。写真は太田花きのセリ風景。さすが日本一の花市場、7〜8個所のセリ台でどんどん捌かれていく。上に見える時計のようなものがセリの機械で、高値から安値に素早く値が動いていき、買い手は買値のところで素早くボタンを押す。早く押すと高値で買ってしまうし、押し控えていると買い損なってしまう。
5月3日
巷ではゴールデンウィークの帰省ラッシュ、行楽ラッシュだが、農家はあまり関係ないようで、やはり働いてしまう。この写真は観葉鉢物の出荷風景。コンテナに鉢を何段にも互い違いに詰め込み、尺鉢(直径30cmの大鉢)で100鉢位入れる。市場価格で一鉢3000円位だそうだ。以前は5000円位の時もあったが、今は価格低迷で生産者にとっては厳しい時代だ。