4月


                                3月の記録

2000年9月全島避難で住み慣れた三宅島を後にし2年7ヶ月がたちました。一昨年の春、単身八丈島に移りユリ栽培を再開しています。仕事の様子や身の回りの出来事、風景などを週に1〜2度書いています。
先月、「火山ガス検討委員会」の最終答申が出され、今月からは数日間の滞在型一時帰島が始まります。
ひたすら待ち続けた2年半、ようやく帰島に向けた動きが出てきましたが、まだまだ不確実な要素もあり、手放しでは喜べない気もしています。

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4月29日
今日は風も弱く良い天気。女房も島に来ているので、仕事は休みにして二人で三原山に登った。一般車両進入禁止ゲートまで車で行き、あとはゆっくり舗装道路を歩いて登る。途中は小鳥の囀りが聞こえ、空気もひんやりと気持ちが良い。道端には丁度ウラシマソウが咲いていたが、三宅島のものとは別種なのが印象に残った。40分程で電波中継塔に着く、その横に細い小道があり、50メートルほど登ると標高700メートル三原山山頂に到着。八丈富士、八丈小島、飛行場、三根、大賀郷の町並みが見渡せる。八丈島に来て2年目、初めての三原山ハイキングだったが、良かった!
4月27日
1月下旬植付け分のスカシユリが赤、黄、ピンク、橙の4色咲き揃い、溜まっていた注文も出し終わり、ひと段落。好き嫌いもあるだろうが花色の豊かさはスカシユリの魅力かな。しかし品種によって開花時期も微妙に異なり、異なる色合いの品種をピッタリ合わせるには、まだ経験を積まなければいけない。オリエンタル系ユリの栽培が中心だったが、これからはスカシユリも2〜3割程度作っていくことにしよう。
4月16日
1月下旬に植え付けたスカシユリ(プラト)が、同時に植え付けた他の品種より4〜5日早く開花。初めて作った高性(120〜130センチ位)オレンジ系の品種、姿も色も良く葉焼けもしないようなので、来年も球根を注文しよう。作った数量が少ないこともあるが、産直の注文と島内消費用で今のところ余らずに売れているので一安心。
4月13日
この花はハウスの周りに生えている雑草の花。草丈20〜30センチ、花の大きさは5ミリ位でとても小さい。草刈中だったが、あまりにも可憐で可愛いかったのでそのままにして接写撮影(最近新しくデジカメを買い換えた)をしてみた。名前が分からないので植物に詳しい人に聞いてみよう。
4月6日
これは私が時々手伝いをするYさんのフリージア畑。切花の出荷は終了し、ここ(1ha位)は球根生産用の畑で、一株ずつ検査してウイルス病に罹っているものを抜き取り処分して、その後、花を全て摘み取り球根を肥らせる。八丈島はかつて日本一のフリージア球根生産地だったが、今はYさんを含め数件の農家しか球根生産はやっていない。少し手伝ったが、やはり大変な仕事だった。
4月4日
下の息子が春休みで八丈島にやって来た。中学を卒業し、この春からは高校生。三宅島にいた頃は、小学生だったので仕事の手伝いの経験はあまりなかったが、今日は初めての球根植付けの手伝いをしてくれた。農業に興味があるようなことも言ってはいるが、まあじっくり考えて自分の好きな分野を選んでくれればいいだろう。私が高校生の時は、将来魚の養殖をやるんだと考えていたが成行きで現在は園芸、でも生物を育てると言う意味では共通点が多いからまあいいかな。
4月1日
三宅島の友人、青山氏が我が家で食事の画。彼は三宅島でクサヤ(清漁水産)を作っていたが噴火後は奥さんの実家のある岡山で暫く避難生活。その後、島内インフラ復旧作業の仕事で三宅島にいたが、今月からは新島でクサヤの製造を再開することになった。三宅島が避難解除になりクサヤ製造の条件が整えば帰島して事業を再建するが、その日が来るまで単身新島で頑張るとの事。長引く避難生活、本業で生活を繋いでいくことを決断した彼を応援したい。皆さん青山(清漁水産)を宜しくお願いします。