| 西野園芸について |
西野園芸の西野悦子です。 この度西野園芸HPを新たにするに当たり、西野園芸についても新たに書き直す事になりました。 2000年の三宅島大噴火当時の記載につきましては以前のHPの内容をご参照ください。 西野園芸は約18年、伊豆七島の三宅島と八丈島でユリの産直を続けております。 きっかけは、自然とかかわった仕事をしてみたいと言う、夫の強い気持ちで1981年春、未だ新婚でしたが以前働いていた会社を脱サラし三宅島に移住してきたのが始まりです。 最初は漁業で海草のトサカやテングサの採取漁業や伊勢エビ漁を生業としていましたが、島に移住後2年目ぐらいから副業として農業を始めました。最初はブーケ等に使うレザーファンの切り葉栽培、2連棟のハウスを建てたのが始まりです。以来レザーファンを中心に規模も大きくなり、三宅島特産の「島の光」というユリを引き継いだ事からユリの産直も始まりました。三宅島で農業を始めて15年後位には農業の方が主体になり、ハウスも30棟位になっていました。 三宅島で家も建て5年ぐらい経った2000年夏、三宅島で3000年ぶりという大噴火に見舞われてしまいました。 約4年間の避難中に、殆ど手が付けられなかった三宅島の圃場やパイプハウスはガスの影響などにより全滅に近い被害を被りました。 幸い家屋の被害は少なく、今も住める状態です。 噴火のため避難した東京では、将来への展望も持てず、主人が長年島の仕事で培ってきた経験が生かしきれないと判断、2001年からは主人が単身で三宅島からも近い(船で約4時間です)八丈島で知り合いの方からパイプハウスをお借りして、ユリの栽培を再開し、私も東京でのパートの仕事を続けながら八丈島に通い産直の仕事を続けてきました。 3年程前からは八丈島に移り、時々三宅島に通って仕事をしている主人の留守番をしながら八丈島でユリの産直の仕事を続けて現在に至っています。 その間多くの方々のご支援、励ましにより無事に避難生活を乗り越えられました事を心から感謝しています。 八丈島は三宅からさらに100キロ程南に位置しています。温暖な気候なので園芸も盛んで、特にロベ(フェニックスロベレニーという切り葉)の栽培が盛んな島です。明日葉の加工も盛んに行われており、農業に関しては伊豆七島の中では先進地です。切花ではサンダーソニアなどが近年盛んにつくられ、フリージアやストレチア等も作られています。 人口は最近は八丈島でも減少傾向にあり、数年前までは1万人ぐらいだったのが、今年は8000人台になっているそうです。 昔から多くの流人が流されてきた八丈島には、今も他の県からの移住者も多く、特にダイビング関係や宿泊施設、飲食店をやっている方も多く、のんびりもしていますが、皆さん活き活きと生活されています。 これから新たに移り住んだ私達を暖かく迎えてくれた八丈島で、周りの方達に教えて頂きながら、西野園芸の再建・発展に取り組んでいきたいと思っています。 噴火後の6年間の試行錯誤の結果、今年からは三宅島の自宅前に明日葉の粉末加工場を作り、新たな仕事が始まりました。夫の直樹が三宅島の西野農園代表者となりましたので、ユリの産直の西野園芸の代表につきましては、この度私が替わることになりました。 家族の協力の下、頑張りますのでよろしくお願い申し上げます。 自己紹介 私は生まれは関西の神戸ですが、幼い頃に東京に引越し殆ど東京育ちです。英語関係の専門学校を卒業。島に来る以前は4年程食品輸入関係の会社に勤めていました。(夫とは社内結婚です)自他共に認めるマイペース型ですが、学生時代にバレー部で鍛えているので、結構根性はあるほうだと思います。農業に関しては未だ勉強不足の面も否めませんが、これから色々勉強していきたいと思います。 結婚後直ぐに島に移り住み自然豊かな島での暮らしを初体験。最初は2-3年で又東京に戻る事になるのかと漠然と考えていましたが、浪速のど根性の夫がそれで済む筈も無く、気づけば20年近く三宅島で暮らしました。島に来たばかりの頃はかなりカルチャーショックを受けましたが、自然が身近にある島の暮らしを通して、充実した生活が出来たと思います。 特に都会では難しい子育てについては、3人の子供達を島の自然や周りの方達のお陰でのびのび育てる事が出来た事に感謝しています。 3人の内、長女の智香が今年から八丈島に住むことになり、これから家の手伝いもしてくれるとの事で心強く思っています。 長男は内地で好きな服飾関係の仕事に就き職人を目指して頑張っています。 次男は目下地方の大学で農業の勉強中です。 趣味は以前はママさんバレーもしていましたが、今はコーラス(混声合唱)をやっています。 音楽鑑賞、読書、映画鑑賞も好きです。 お菓子やパン作りはしばらく遠ざかっていましたが、又時間を作って始めたいと思っています。 最近は子供達も成人し子育ても卒業したので、一人の時間も増え、八丈島の友人の勧めでブログ「百合日記」を始めてみました。栽培記録代わりとして始めたのですが、、身近な写真を撮って載せたり、日常や趣味の事を書いたりしています 最近では時々励ましの言葉を頂ける事もあり、嬉しく思っています。これからもマイペースで続けていきますのでよろしくお願いします。 八丈島でユリのハウスです。需要の多いカサブランカを中心に、ピンク系のオリエンタルユリや色が綺麗なスカシユリやLAユリも数種類作っています。 ![]() 西野悦子です。この度、夫直樹が明日葉の加工工場を始めたため、ユリの産直の西野園芸の代表者につきましては私が替わることになりました。今まで同様宜しくお願い申し上げます。 仕事に関しては、島に来て初めて体験する事ばかりで最初はかなり大変でしたが、ユリを通して、お客様に喜んで頂ける仕事ができる事を嬉しく思っています。 18年の間に築いてきたお客様との信頼関係を大切に、これからも品質やサービスに関して満足していただけるよう努力してまいります。 ![]() 夫、西野直樹です。 三宅島に渡った当初は主に漁業をしていましたが、風の強い島では年間に漁に出られる日も限られてしまうので、副業としてレザーファンの切り葉栽培を始めたのが、農業を始めたきっかけです。その後15年位三宅で農業を続け、ハウスは30棟位に増えていきましたが、2000年夏の大噴火で全てのハウスがダメになってしまいました。この時のショックはかなり大きく、それが癒えるまでには相当な時間がかかりました。 ![]() 2000年噴火の際、島全体に大量の火山灰が降り積もり、当園のハウスもすっかり灰に覆われてしまいました。その時はちょうど子供達の夏休み中だったので、必死に灰落としを手伝ってくれた事は今も鮮明に蘇ってきます。その後4年の全島避難になり、ガス等の影響で30棟のハウスもすっかり朽ち果て、竹林となってしまいました。 2005年に避難解除となり、以前レザーファンのハウスが沢山建っていた場所は、災害復旧で一旦更地になり、三宅の方のご協力の下、明日葉畑に蘇りました。 ![]() 避難中の2001年、長期の避難が予想されたため、当時主人は単身八丈島に渡り、ユリ栽培を再開、それまで約10年間続けていたユリの産直を再開する事になりました。八丈の方にハウスを貸していただいたり、町営住宅を用意していただいたりすっかりお世話になりました。現在は避難解除になりましたので、普通の民間住宅を借りております。 ![]() ピーク時の出荷風景です。 なるべく通年出荷を目指していますが、夏場にはちょっと途切れてしまいます。 特にお中元やお歳暮のシーズンには出荷ピークになるため、てんてこ舞い。翌日配達になるよう午前中に郵便局に持ち込みます。地元の主婦の方にもパートでご協力お願いしています。 普段も植え付け、草取り、球根の堀上など忙しい時にはお手伝い頂けて大変助かっています。 ![]() 2000年三宅島の西野園芸 2000年三宅島噴火の様子 |